AIが書く小説の妙な足踏み感と、消せない描写の塊についての思索 # なんだか前に読んだ景色をもう一度見せられている気がする 🍃 # AIを使って書かれた小説を読んでいると、たまに不思議な引っかかりを覚えることがある。
お話自体はちゃんと前に進んでいる。新しいキャラクターが出てきて、事件が起きて、場所も移動して、事態はどんどん展開している。それなのに、なんだかものすごくゆっくり歩いているような、あるいは同じ場所を行ったり来たりしているような気分になる。
この足踏みしているみたいな感覚はどこから来るんだろうと考えていて、ひとつのことに気がついた。前のほうの章ですでにたっぷり時間をかけて読んだはずの場面が、あとの章でもう一度、しっかりした分量で詳しく書き直されていることが多いのだ。
たとえば第1話で、主人公が仲間に裏切られる決定的なシーンがあったとする。冷え切った空気とか、相手の冷たい目つきとか、心臓が凍りつくようなショックとかが、何千字も使って丁寧に書かれていたとする。読んでいる自分としても「うわあ、ひどい裏切りだなあ」と胸を痛めて、その重みを受け止めて次の第2話に進む。
ところが、第2話の頭あたりに来ると、その裏切りの場面がまたゼロから詳しく語られ始めたりする。単に「あいつに裏切られたあの日から」みたいに軽く触れるだけならわかるのだけれど、そうじゃない。相手がどんな顔をして去っていったかとか、そのとき足元が崩れ落ちそうになった感覚とかが、第1話と同じくらいの熱量と長さで、また目の前に差し出される。ひどいときには第3話でも、誰かと話している最中の回想として、第5話でも一人で悩んでいるときの内省として、同じ場面がしっかりした文章の塊になって戻ってくる。
これ、昔のアニメでたまにあった「前回までのあらすじ」がやたらと長い回に似ている。しかも困ったことに、アニメなら本編の頭を数分飛ばせば済むけれど、小説の場合は途中の会話や心理描写の中に自然に溶け込んでいるから、そう簡単に読み飛ばせない。
個々の文章を切り出して読むと、文体も自然だし、表現も綺麗だし、ちぐはぐなところは何もない。それなのに、作品全体を読んでいる自分は、もうすっかり知っている悲しみや光景を何度も何度も体験させられることになって、だんだん物語を読む足取りが重くなってしまう。
出来事とそれを描く文章の塊は別ものだという話 🧩 # こういう違和感を考えるとき、単語の重複とかプロットの重複とごちゃ混ぜにしてしまうと、話が見えにくくなる。
ここで起きているのは、同じ言葉が何度も出てくるとか、コピペされた文があるとかいう話ではない。また、物語の中で同じような裏切り事件が二度も三度も起きているという話でもない。裏切りという出来事自体は、作中でたったの一度しか起きていない。
自分の中で整理するために、お話を三つの層に分けて考えてみることにした。
お話全体の筋道:事件がどんな順番で起きてどう決着するかという、因果関係の大きな流れ 実際に起きた出来事:作中の世界でキャラクターたちが起こした行動や、現実に起きた事件 まとまった描写のかたまり:その出来事や状況、心の動きを読者に届けるために書かれた文章の束 ここで言う「描写のかたまり」というのは、段落や章の区切りとは必ずしも一致しない。ある場面の情景や登場人物の心理を、まとまった分量を使って読者の頭の中に立ち上げようとする、文章のひとまとまりのことだ。
裏切り
移動
遭遇
決断
第1話 第2話 第3話 第4話 第5話
本文を読み進める位置 →
作中の時間 ↑
灰色の帯:出来事の順に進んだ場合
こうやって図にしてみるとよくわかる。灰色の帯のように出来事は順番に前へ進んでいるのに、本文の線は話が変わるたびに「裏切り」の高さへ落ちて戻ってくる。作中で起きた出来事はたったひとつなのに、それを読者に見せるための描写のかたまりが、あちこちに何度も差し込まれている状態なんだと思う。
(この記事の図は、どれも説明のために作った模式図で、実際の作品を測ったものではない。)
だから、出来事自体を削りたいわけじゃない。裏切りが起きたこと自体は物語の背骨だから、なくすわけにはいかない。問題なのは、その出来事を読者に見せる配分がおかしくなっていて、一度しっかり見せたはずのものを、あとからあとから別の大きなかたまりとして差し出してくるところにある。
しかもこれがやっかいなのは、毎回同じ文章が繰り返されるわけじゃないことだ。第1話では殴り合いや怒号を中心に激しく描いておいて、第2話では同じ場面を「あのとき彼は静かに絶望していた」みたいに心理中心で描き直したりする。語彙も違うし、比喩も新しくなっている。
だから、文章の似ている度合いを機械的に測っても、引っかからないかもしれない。でも、読んでいる人間からすれば「言葉遣いは違うけれど、またあの裏切りの場面を見せられているな」とすぐにわかってしまう。読者側の理解はちっとも更新されないのに、読むための労力だけが消費されていくわけだ。
省略するってどうしてこんなに難しいんだろう ✂️ # 文章を書くときに、何を詳しく書いて何を省くかというバランス感覚は、本当に難しい。
仕事で書く仕様書やマニュアルみたいな実用的な文章でも、省略の失敗はよくある。けれど、そっちの世界で起きる失敗って、大抵は「必要な前提を省きすぎて、読んだ人が何をすればいいかわからなくなる」というパターンの気がする。言葉を削りすぎて説明不足になる失敗だ。
でも、小説で起きている省略の失敗は、まるっきり逆の方向を向いている。読者がもう十分に知っていること、すでにしっかり体験したことをうまく省略できなくて、ついつい何度も詳しく書き直してしまう。
比べてみる点 説明書やマニュアル 小説の文章 目的 やり方や事実を正しく伝えること 読者に物語の世界や気持ちを体験してもらうこと よくある省略の失敗 必要な前提を省きすぎて伝わらなくなる もう知っている場面を何度も長く描いてしまう 読者が感じるつらさ 何をどうすればいいか分からず手が止まる 前にも読んだ内容が続いて退屈になってくる 悩ましいポイント 読者が知っている前提をどこまで削るか 一度伝えた場面をどれだけ言及だけで済ませるか
説明書なら、最初に専門用語をひとつ定義したら、次からはその言葉を使うだけで済む。いちいち「〇〇とは、〜〜のことであり」と毎回説明し直す人はあまりいない。
小説でも本当は同じはずだ。一度あんなに激しい別れの場面を読者に見せたのなら、次の章では「あの日の言葉がチクチクと胸に刺さっていた」と一行書くだけで十分なはずだ。読者の頭の中にはすでに第1話の記憶があるから、その一行を見るだけで、あの夕暮れの冷たい空気や悲しい顔を勝手に思い出してくれる。
それなのに、AIの書く文章を見ていると、そのたった一行で済ませることが怖くてたまらないみたいに見える。あの日の言葉を思い出すたびに、そのとき相手がどんな服を着ていて、夕日がどんな角度で差していて、どんな声のトーンだったかまで、親切にも全部思い出させてくれようとする。
読者の心の中に残っている記憶を信じてポンと預けることができずに、過去の文脈を持ち出すたびに、土台から全部レンガを積み直そうとしているような、不思議な律儀さを感じる。
ぜんぶ教えてあげようとする優しさが裏目に出る 🎒 # どうしてAIを使ってお話を作ると、こんなふうに同じ描写が何度も出てきちゃうんだろう。
一気に何万字も出力させるのは難しいから、章ごととかシーンごとに区切って順番に生成していくことが多いと思う。第1話を作って、次に第2話を作って、というふうに。
そのとき、前の話とつじつまを合わせるために、登場人物の設定とかこれまでのあらすじを、毎回プロンプトに入れてあげることになる。
主人公は責任感が人一倍強くて、他人に弱みを見せられない性格 第1話で信じていた仲間から裏切られて、深い傷を負っている 今いる街は治安が悪くて、いつ敵に襲われるかわからない緊張状態 ここで、すごく根深い勘違いが起きている気がする。
人間側としては、これらはあくまで「設定を守って矛盾のない行動をさせるための裏情報」として渡しているつもりだ。弱みを見せない性格なら、そういう態度や受け答えをしてくれればいいし、裏切られた傷があるなら、少し他人を疑うような目つきをしてくれればいい。毎回その設定そのものを文章にしてほしいわけじゃない。
ところが、AI側からすると、プロンプトに書かれた情報は「守るべきルール」であると同時に、「今から書く文章のテーマや材料」に見えてしまうんじゃないか。
再描写をそのまま書いた場合
第1話
第2話
第3話
一行の言及で済ませた場合
第1話
第2話
第3話
裏切りの場面
性格・設定の言い直し
その話で新しく起きること
だから、第1話でも「彼は責任感を背負い込み、弱音を吐くことを自分に許さなかった」と書くし、第2話でも新しい事件が起きる前に「彼はもともと他人に弱みを見せられない性分だった」と丁寧に語り出し、第3話でも同じ解説を繰り返してしまう。
出てきた文章は、どれも設定にものすごく忠実だ。指示を何ひとつ破っていない。でも、全部をつなげて通して読む読者からすると、「その話、さっきも聞いたよ!」と言いたくなってしまう。
ここには、二つの状態のすれ違いがある気がする。
物語の裏側の状態:登場人物の性格とか過去の出来事とか、お話の整合性を保つためにずっと参照し続けるべき情報 読者にすでに見せた状態:その情報のうち、読者の目にもう触れて、伝わり終わっているのはどこまでかという記録 人間同士なら「あ、この設定はもう第1話で読者に見せたから、第2話ではわざわざ言葉にしなくても伝わるよね」と自然に加減できる。でも、AIを章ごとに走らせていると、前者の裏情報ばかりが何度も注入されて、後者の「読者にどこまで見せたか」がすっぽり抜け落ちてしまう。
必要な前提を親切に教え込んであげればあげるほど、その教えた内容が本文にダダ漏れになってしまうという、なんだか皮肉な構造になっている。
個々のシーンが上手に書けているからこそ見逃される 🧐 # でも、作者が自分で読み返して推敲しているはずなのに、どうしてこの問題がそのまま残ってしまうんだろう。手抜きをしているわけじゃないとしたら、どこに落とし穴があるのか。
ここにも面白い罠があるような気がしている。各話をチェックするときの見直しって、どうしてもその章単体の中で行われやすい。
キャラクターの言動が設定とずれていないか 気持ちの変わり方に不自然なジャンプがないか 文章と文章のつながりはスムーズか 単なるあらすじ説明にならず、ちゃんと情景や気持ちがいきいき描かれているか この1話だけで読んでも、ちゃんとおもしろいか このチェックリストを眺めてみると、さっきの「繰り返される描写」って、全部満点に近い点数で通過してしまうのだ。
同じ裏切りの場面
第1話の見直し
第2話の見直し
第3話の見直し
点線の枠:1回の見直しで目に入る範囲 塗り:裏切りを描いた段落
見直しの枠を1話ずつにとると、同じ場面を描いた塊は、いつも別々の枠に入ってしまう。どの枠の中から眺めても、つながりの片方の端しか見えない。チェックリストの項目がどれも枠の内側だけで答えられるものだから、枠をまたぐ重複はそもそも問われないままになる。
たとえば第2話の冒頭にある、裏切りの再描写を読んでみる。単体で見れば、主人公の心の痛みが生々しく描かれていて、比喩も美しくて、文章としての完成度はすごく高いかもしれない。設定とも完璧に合っている。
もし最初の出力が「前回裏切られたので、彼は悲しそうに歩いていた」みたいな素っ気ない要約だったとしたら、作者としては「もっと小説らしく、感情を込めて描写して」と手直しをお願いしたくなるはずだ。
そうやってAIにお願いすると、AIは期待に応えて、悲しみの深さや夕暮れの街並みを情感たっぷりに書き直してくれる。要約っぽい乾いた文章は消え去って、立派な小説の描写に生まれ変わる。でも、それはつまり「第1話ですでに読んだはずの光景」が、さらに立派な分量を持って居座ることを意味している。
局所的に文章を良くしよう、もっと情緒的にしようと頑張れば頑張るほど、全体として見たときの「前にも読んだ感」がどんどん強固になってしまう。ひとつひとつのシーンが独立して綺麗に書けているからこそ、捨てるのがもったいなくなって、見逃されてしまうんじゃないかと思う。
ひとつの文章を削ると全体が崩れる怖さ 🧶 # じゃあ、全体を読み通してみて「あ、ここ前にも書いたから要らないや」と気づけたとして、すんなり消せるかというと、これがまた全然簡単じゃない。
プログラムを直すときのことを思い出すと、違いがよくわかる。
プログラムのコードなら、関数とかモジュールという単位で役割が分かれていることが多いから、中身を少し書き換えても、外側に影響が出ないように囲い込みやすい。テストを走らせれば、どこかが壊れていないか機械が教えてくれる。
けれど小説の文章には、そんな便利な境界線がない。章とか段落で区切られてはいるけれど、文章の意味や読者の気持ちの盛り上がりは、前後の文脈と毛細血管みたいに細かくつながり合っている。
台詞(再描写を読んだあと)
台詞(再描写を削ると、ここで来る)
再描写の区間
読者の中に溜まっている重み ↑
本文を読み進める位置 →
第2話の頭にある再描写を「これ、第1話と被ってるから削っちゃおう」とバッサリ削除したとする。
そうすると、そのすぐ後ろにあった「主人公がぽつりとこぼす、重みのある決断の台詞」が、急にペラペラで安っぽく見えたりする。その台詞の重みは、直前に長々と語られていた過去の痛みや重苦しい空気感に寄りかかって、やっと成立していたからだ。再描写をなくした途端に、主人公がたいして悩みもせずに思いつきで喋っているように見えてしまう。
文章を消すというのは、ただ文字数を減らすだけじゃない。その文章が周りに作っていた空気の重さとか、読者が息を止めている時間の長さとかまで、一緒に吹き飛ばしてしまう危険がある。
絵のトリミングとも違っていて、小説は最初から最後まで時間の上を流れていくものだから、途中の1段落をいじると、それ以降のすべての文章を読者が受け取るテンポが変わってしまう。
「この無駄な描写を消すと、後ろのいい台詞が死んじゃう」
「じゃあ台詞も直さなきゃいけないけれど、そうするとシーン全体の終わり方が変わっちゃう」
「そこまで直すくらいなら、多少くどいけれど前の文章を残したままにしておこうか……」
そんなふうに悩んだ末に、作者が手を入れるのを諦めてしまう気持ちも、すごくよくわかる。問題に気づいていないんじゃなくて、直そうとしたときに波及する影響が大きすぎて、手が出せなくなってしまうのだと思う。
あらすじが同じでも読後感はまったく別物になる 🍵 # 物語の因果関係、つまり「誰がどうしてどうなった」という骨組みだけを取り出してみる。
主人公は仲間を信じていた 仲間が裏切った 主人公はその事実を知ってショックを受けた 二人は別々の道を歩むことになった この骨組みだけを見れば、すごくシンプルだ。でも、この骨組みをまったく変えなかったとしても、どこでどれくらい言葉を尽くすか、どこで沈黙するかによって、読み終わったときの印象はまるで違うものになる。
裏切られた瞬間の沈黙をどれくらいじっくり書くのか。別れたあとの場面で、どれくらい未練がましく引きずるのか、それともぐっと奥歯を噛み締めて前を向くのか。読者が心を揺さぶられるのは、骨組みそのものに対してというより、その骨組みにどんなリズムや密度で言葉が肉付けされているかに対してだ。
信じる 裏切り 知る 別れ
裏切られた瞬間の沈黙を長く書く
信じる 裏切り 知る 別れ
別れたあと、未練を長く引きずる
点:出来事 横の位置:本文の中の位置 太い帯:言葉を多く費やした区間
出来事の並び方はどちらも同じで、あらすじにすれば一字一句同じになる。違うのは、出来事と出来事のあいだにどれだけの言葉が挟まっているかだけだ。それでも、上は裏切りの衝撃が長く尾を引く話になり、下はあっけなく決裂したあとで未練に沈んでいく話になる。
あるワンシーンですごく胸を打つ一文があったとしても、その一文だけを切り出して額縁に飾っても意味がない。そこに至るまでに重ねられた周囲の情景や、読者の中にじわじわと溜まってきた感情があるからこそ、その一文が刺さる。
だから、お気に入りの表現を残そうとして前後の重複を無理にいじると、その表現自体が輝きを失ってしまうこともあるし、逆に言葉自体はありふれていても、前後のテンポが完璧ならものすごい威力を発揮することもある。
読後感というものは、ひとつひとつの文章の部品の合計じゃなくて、読者がページをめくっていく時間の流れの中でしか立ち上がらない。
AI小説で描写が何度も繰り返されてしまうことの一番のつらさは、まさにこの「時間の流れ」が狂ってしまうことにある気がする。同じところをぐるぐる回されているうちに、物語の世界を生きている感覚が薄れて、文字の羅列を眺めているような気分に戻ってしまう。どんなに描写が細かくて文章が美しくても、適切な省略がないと、物語が持っていたはずの切実なスピード感が失われてしまうのだ。
語らないことで伝えるという不思議 🕯️ # こうしてあれこれ考えてくると、AIが書く小説のあの足踏み感は、単なるAIの性能不足とか手抜きという言葉では片付けられない、もっと根っこの深い問題のような気がしてくる。
出来事はひとつなのに、文章のかたまりが何度も作られてしまうこと つじつまを合わせるための設定情報が、本文の中に過剰に漏れ出してしまうこと 1話ずつ見直していると、局所的な文章の良さに騙されて重複が見えなくなること 文章同士が目に見えない糸で複雑に絡み合っていて、一部だけを簡単に削れないこと あらすじの整合性と、読者が体験するリズムや読後感との間にある深い溝 文章を破綻なくつなげることや、設定の矛盾をなくすことの先に、もっと難しくて繊細な「何を語らずに済ませるか」という問題が待っている。
全部を言葉にして説明しようとするのをぐっと堪えて、読者がすでにくぐり抜けてきた体験を信じて、どれだけ大胆に描写を手放せるか。言葉を尽くすことと同じくらい、沈黙や省略をどう配置するかということが、小説という表現の不思議な面白さであり、難しさなんだろうなと思う。